情報社会における格差

 

 

今日、日常生活における情報収集は実に容易である。

手元のスマートフォンからPC、新聞、テレビ、友人との会話、書籍など

紙媒体から電子媒体に至るまで幅広く多種多様である。

 

情報リテラシーという言葉をご存じだろうか。

 

簡単に、目的に応じた情報を活用することのできる能力のことを指す。

情報が溢れ、氾濫しているなかから正しい情報を見出し活用できている若者はどれだけいるのだろうか。

ほとんどいないというのが現状であろう。

そもそも正しい情報と判断するには当人の立場や性格、経験や知識など、各々が異なって有する膨大なデータともいうべきものが必要となる。

 

 

ここでポイントともなりうる点がある。

 

それは各々が異なっていることである。

 

経験や知識が他者と比較し不足している場合、他者と異なる判断基準によって情報を取捨選択する。そしてその結果誤った情報を信頼し活用するといういわゆる情報弱者となる。

 

 

情報弱者が悪いなどそんなことはもちろんない。

しかし、情報を正しく選択し活用できる他者と比較すると人生のあらゆる局面において損するなどネガティブな結果をもたらす原因となるのである。

 

 

では私たち若者の情報リテラシ―向上にはどういったことが有効であるのか。

 

それは情報源を偏らせない。

そして情報比較を繰り返すことであると私は考える。

 

基本的になんでも疑ってかかる。

言葉は少々乱暴であるがそうしたスタンスがこの情報が氾濫した社会において非常に重要となってくるのは間違いない。

 

今一度、普段どこから情報を収集しているのか。

また情報源は偏っていないか。

振り返ることを推奨する。

 

 

という私も情報リテラシーは高いどころか低いため

日々改善していく必要があることは一目瞭然である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20歳女子のリアルな日常

 

 

 

 

 

 

    20歳女子のリアルな葛藤と生活。

 

 

 

世間の想像する20歳女子のイメージはどんなだろうか。

人生で一番輝くとき?

お遊びさかんな小娘?

勉学に追われている大学生?

恋愛で忙しい女の子?

サークルのメンバーとひたすら飲み歩く若者?

いずれも人によってはYESであるし、NOともいえる。

 

みなさんが20歳だったときはどれかに該当するだろうか。

 

 

 

私は現在20歳の大学生である。

過去の自分になにか教えられるとするのなら、ただ一つ。

 

`20歳は思ったより大人ではないし、人はそう簡単に変わらない‘

 

 

高校時代の私は当時とにかく大人になりたくてしょうがなかった。

そしてこんな大人になりたいという理想像があった。

学生であれば、勉強に、恋愛に、サークル活動にすべてが順調で

インスタグラムにはそれらをそのまんまひたすら楽しそうな投稿で埋め尽くされ周囲からからは羨まれるような生活を送っていると。

そして就活を成功させバリキャリへの道へ進んでいくのだと。

 

 

しかし実際はどうだ。

大学に進学したものの、お洒落で可愛い子たちに構内は溢れ、かわいい子たちには当然のようにイケてる男子が集まり勉強そっちのけで飲んだくれている学生らを目の当たりにした。

 

自分も一生懸命に化粧で顔面をつくり、服装、ヘアに気を使い単位はギリギリで取得、毎日飲み歩きそれをインスタグラムに投稿。

適当に異性とは関わりをもつものの、容姿のいい友人と比較されあからさまに態度、興味の差を突き付けられる日々。

 

容姿へのコンプレックスは加速。

勉強もろくにしていなかったため学力低下

本気で好意をもった相手には相手にされず。

自己肯定感は日を追うごとに低下しいつしかイケてる自分を装うことに必死になっていた。

 

自分がなりたかった20歳になれているのだろうか。

 

じぶんは何者で何のために生きているのかついにわからなくなった。

 

だが、これだけははっきりわかっていた。頭では認識していた。

 

 

 

私はそもそもいわゆるキラキラ女子の分類ではなく、自己肯定感なんてない、そして誰より自分を大事にできない人間であったと。だから結局変わらないまま今に至ってしまったのであると。

 

 

化粧を必死に勉強し自分がイケてると思われる顔面をつくりあげ、

それなりの容姿にしてもそもそも容姿のいい子にはまったく歯が立たない。

少しでも異性の興味を引こうと軽い女を演じ自分の価値をわかりやすく下げ、結果大事にされない。当然である。

そして低下した自己肯定感をどうにかするべく自分を少しでも認めてくれる相手にはひどく執着し依存し、メンヘラになる。

勉強しようと高々に周囲には私すごいでしょアピールするものの、教材購入後やる気起きず勉強放棄。ただの嘘つきになる。

 

最終的に自分への信頼と肯定感はなくなった。

 

幸いそれを聞いてくれる友人がいて、さらにこれらを招いたのは自分に原因があると分析できる自分もいた。

 

 

自己肯定感の低さとそれを補うための他人への承認欲求の押し付け。

それらがすべての出来事、行動の根底にある。

 

 

20歳のリアル。等身大の自分はダッサいしイケてない。

いいじゃん。それで。

イケてなくてなにが悪いの。

自分が好きなメイク、ファッションして堂々としたらいいじゃないの。

男ウケメイク?控え目な色の服?

アイラインがっつり引いて、原色の服を着てやるわ。

私はこういう人間なのよ。素敵でしょ。

あなたには私の魅力はわからないのね。

でも私が一番私の価値を知っているからいいの。

好きな海外ドラマのキャラクターだったらきっとこう言うのだろう。

 

ああ大好きだ、自分らしく堂々するって。

 

 

 

 

 

過去の自分に教えられることはもう一つあった。

 

ひとはそう変わらない。

変えなくていい。

受け入れてあげなさい。自分を。

 

受けいれてはじめて自分がわかる。

変わることを考えるより現状の自分をみてあげて。

そうすることで自ずと変わっている。と。

 

 

20歳の自分は、日々葛藤し、たまに失恋し、勉強もゆっくり。

けど自分は自分だし、私のペースで生きていきたい。

 

これが私のリアル。